レジリエンスとポジティブインプット

 昨今の感染症パンデミック、中露をめぐる戦争リスク、経済格差、自然災害等々に直面するなか、私たちの中にあるレジリエンスが試されています。下はNHKのクロ現の放映シーンを切り抜きした画像です。

 この番組は数年前に放送されたものですが、レジリエンスを知るための入門教材としてとても分かりやすい内容でしたので、2021年6月の定期セミナーで供覧しました。

 第二次世界大戦下、強制収容されて生き残ったユダヤ人たちのその後…、いったいどのような人生を送ったのか?心理学的な調査を進めるなかで浮上した概念が“レジリエンス”です。


 アウシュビッツ収容所から生還した精神科医ヴィクトール・エミール・フランクルの名言を紹介します。

 「人間だれしもアウシュビッツ(苦悩)を持っている。しかしあなたが人生に絶望しても、人生はあなたに絶望していない。あなたを待っている誰かや何かがある限り、あなたは生き延びることができるし、自己実現できる

 鋼のように、ただ跳ね返すだけの強靭さ、シンプルに硬いだけの強さは、いざというとき真の助けになり得ません。強さだけを求めるのではなく、時としてゴムのようにしなやかに、柔軟に、いなしながら、軽くさばきながら、受け流していく力…

 そして「よく分からないけど、きっとなんとかなる!大丈夫!」という、いい意味で発動する“思い込み”と“信じ切る力”…、自己効力感

 こうした“思いの力”はポジティブシンキングの類とは一線を画すものです。
 
 基本的にネガティビティ・バイアス(ポジティブなことよりネガティブな出来事を記憶にとどめやすい)を根底に抱える人類。

 ポジティブシンキングよりも「ポジティブインプット-嬉しいことや楽しい出来事に意識を向けること-」を重視すべき、というのが昨今の心理学の潮流

 日常生活においてポジティブな対象にロックオンしやすい人…、いつも光の未来をイメージし続けている人…、このような人は逆境から這い上がる力、すなわちレジリエンスが高いと言われています。

レジリエンスと自己効力感

 ある患者さんとレジリエンスについて話していたとき、「あ、あのときの出来事…」と、自身の体験談を語ってくれました。

 『5年前、卵巣嚢腫の摘出ope で市立病院に入院したとき、ストレッチャーで運ばれて手術室に入る直前、担当の看護師さんから「じゃあ、またあとで」と言われた瞬間、「ああ、自分は助かるんだ」と強烈に思ったんです

 その看護師は「横柄で冷たい感じの人物」で、本人にしてみると「苦手なタイプ」に映ったとのこと。その看護師が、手術室に送り出す本人に対して、それまでの雰囲気とまったく変わらない、いつも通りの“つっけんどん”な態度を取ったことで、なぜか深い安心感を抱いたのだそう。

 理屈ではなく、明確な根拠があるわけでもなく、無意識から上ってくる(直感的に感じる)生還する未来…。筆者も実はこれと似たような経験をしたことがあります。

 このような自己効力感の発動は、遺伝子のスイッチをオン(DNA脱メチル化)にし、意識のない術中にあって、血圧の安定や出血の少なさ等々につながり、術創の回復を早める可能性も…。

 患者さんが手術に臨むとき、そこにどの程度の自己効力感が発動するか、これは無視できない要素。そしておそらく総合臨床においても、こうした要因が患者の予後に与える影響は存外に大きい

 そしてこのようなレジリエンスの多くは無意識下に起動スイッチがある。筆者はそのように考えています。

神経可塑性の医療観に欠けているもの~非有効例に対する視点~

 神経可塑性の世界(治療の最前線)を世に知らしめたノーマン・ドイジ氏は、自著「脳はいかに治癒をもたらすか」の中で、脳に秘められし様々なポテンシャル-奇跡的な有効例の数々-を紹介しています。

 しかし、その内容を精緻に読み解くと、効果のなかった症例も多数存在していることが分かります。

 革新的な治療が世に出るとき光の部分が眩しすぎると、非有効例がマスキングされやすいわけですが、効果のほどが得られなかったケース、つまり神経可塑性の発現が得られなかったケースについてどのように考えるべきか?

 これこそがまさしく当会が唱える相対医学の視点、すなわち個体差に対する明察なのです。

 神経可塑性の発現に対しては、ある一定の条件を満たしたときその確率が上昇するというのが筆者の見方です。すなわち確率共振(または確率共鳴)における個体差という視点です。
 
 神経可塑性的なアプローチを受けた脳が、その時々のタイミングでどのような反応をするのか?物理的な強度(脳の栄養状態や弾力的な回復性能)が一定レベル以上にあるときと、そうでないときとでは、効果の現れ方に差が生じるのではないか。

 同じ治療を受けても、レジリエンスの高い患者と低い患者では、可塑性の発現レベルに違いがあるのではないか。

 脳に潜在する自律的な回復能力には、実は大きな個体差があり、この部分に対する考察が、ノーマン・ドイジ氏ひいては可塑性研究の世界には少ないように感じます…。

 

心理的なレジリエンスと構造的なレジリエンス

 レジリエンスは心理学における概念ですが、生体が持つホメオスタシス(生体内部環境を弾力的に維持するシステム)もまた広義の意味でのレジリエンス-肉体次元における回復力-と捉えることができます。

 このとき脳という特殊な環境に焦点を当てると、“ブレノスタシス(※)”という視点が浮上します。 

(※)脳はあらゆる臓器の中でも際立って酸素欠乏に弱い組織。そのため自らの代謝バランスに敏感に反応し、これを制御する機能を持つ。こうした脳独自のホメオスタシスを、当会はブレノスタシスと呼んでいる。

 このブレノスタシスを維持する能力、すなわち構造的なレジリエンスには個体差があり、これが可塑性の発現レベルに大きな影響を与えているのではないか。

 だとすれば、可塑性的なアプローチ以前に、少しでも構造的なレジリエンスを高めておいたほうが、良好な結果に繋がりやすいと言えるのではないか。

 では構造的なレジリエンスを高めるにはどうしたらいいのか?

 これについては二つの視座があります。一つはBDNFやNGFに代表される神経栄養因子、グリア細胞、ミトコンドリア等々といった次元です。

 そしてもう一つが、心理的レジリエンスが結果として構造的レジリエンスを高める可能性です。たとえば心理的なトレーニングが海馬の大きさを変えたり、マインドフルネスが扁桃体を縮小させたりすることが知られています。