ヘドニアとユーダイモニア

 最新の心理学では人間の幸せには2種類あると定義されています。

 はじめにへドニアについて…、これは一言で言えば「快楽の幸せ」。五感を通して味わえる喜び体験で、たとえば美酒、美食、喫煙、温泉、映画や音楽など。

 ヘドニアに対する筆者独自の視点として、その長所(効果)は「脳疲労の改善」であり、短所は「依存症リスク」です。

 筆者は子供のころから偏食傾向が強く、今なお自身のスイーツ依存と闘っています。精製糖、乳製品、小麦を一定期間摂取しないときに感じる脳の爽快感を何度も体験しているにも拘らず、誘惑(味覚の快楽)に勝てない自分が…。

 他方ユーダイモニアとは「自分の強みを活かしつつ何かに打ち込める幸せ」。日本語に訳すと「生きがい」に近い概念。自身の人間的成長ならびに他者や社会への貢献に対して感じる幸福です。

 ユーダイモニアの長所は「自己肯定感UP」であり、短所は「脳疲労マスキングのリスク」。生来より自己肯定感が低い筆者としては、ユーダイモニア優位になる状況はたいへん喜ばしい…。

人生最大級のレジリエンスを振り返る

 今から20年前の整形勤務時代。自宅で転倒した60代女性との出遭い…。受傷初期にX線に映らない大腿骨頸部骨折はMRIに描出され得るという報告を当時の私は知らなかった…。

 当時物療室の責任者として毎日その患者の様子を見ていたのですが、初診時のX線結果(正面.側面.斜位.軸位の4方向で骨折線を認めなかった)を盲信して理学所見の変化を軽視していた私は、不安を口にする患者さんに「大丈夫ですよ~」と軽々しい対応を続けていました。

 ところが3週間が経過した頃、下肢長差に気づいた私は「これはおかしい!」とようやく事の重大さに気づき、院長に「経観の写真見たいのでレントゲンを…」と直言し、骨折が判明(荷重歩行を続けたことで骨転移が強まったと解釈できる)。

 可及的早期に診断がついていれば、最小侵襲の介入(骨接合術)で済むはずだったものが、最終的に関節置換術に…。

 医療センターに転医したその患者さんを見舞った際、「お前のせいで人工関節になった。これからの私は“障害者”扱いになるそうだ。お前のことは絶対に許さない。土下座して謝れ」と言われ、私は泣きながら病室の床に額を押しつけました。

 実は、それまで医療から離れたいと思ったことが何度もありまして…。実際一度目は完全にリタイヤして軽井沢に引きこもって小説家になる夢を追いかけました。文学賞落選を繰り返す“連戦連敗”に心が折れそうになりましたが、30分近く土下座を強いられていたあのときは完全に心が折れました

 その後しばらく立ち直れなかったのですが、紆余曲折を経て私のレジリエンスは幸いにも発動してくれました。思いを共有できる仲間の存在が大きかったですし、発達個性である妻の超天然系の天真爛漫さも救いになりました。

 とは言え、あの体験はいろいろな意味でその後の人生に影響を与え続けてる…。患者さんに対して「大丈夫です…」というセリフは二度と吐かないと誓ったけれども、あるとき患者さんへの思いが高じて利他のパワーが勝ったとき、いとも簡単にその封印は解かれてしまいました。

 実際「大丈夫です」によって救われる患者さんのほうがはるかに多い…

 土下座するリスクよりも患者の力になれる可能性を優先することは、冷たい床の感触が額に蘇るフラッシュバックと常に隣り合わせ…。けれども保身のために全力を尽くさない自分がいるとしたら…、そんな己のほうがよほど怖い。

 なので今日も身を削る思いで「見てください!自律神経のトータルパワーこんなに上がりましたよ!これだけの数値が出ていれば大丈夫です!」と、必死の笑顔(協調性の乱れた表情筋)を出力しています。

 そんな日々の営為が報われたときは、脳がへドニアよりもユーダイモニア優位となり、己の選択の正しさを実感します。

臨床に還元されるレジリエンス

 今から12年前、筆者は新築デザイナーズマンションのテナントを借りた際、一千万超を投資した治療院の経営に失敗しました。

 待合室を健康関連の本で埋め尽くしたライブラリーカフェにして、施術と情報発信と癒し空間の融合を試みたのですが、見事にこけました。

 3.11がトリガーとなり閉院したのですが、借金返済に追い詰められ、自死による完済を何度も考えました。しかしその都度、目に見えない何かに助けられて…。

 そうした体験の積み重ねはやがて「自分は何かに守られている」というある種の自己効力感に昇華し、そして泉のごとく沸き続ける感謝の念。これこそが私にとってのレジリエンスの源泉。

 自身が奇跡的に守られたと思えるエピソードは、数え上げたら切りがないほどたくさんあります。失敗の数だけレジリエンスも積み上げてきた。やらかした数の多さ(少ない方がいいに越したことはないのですが)は相当なものだという自負があります。

 そして今、自分が体験してきたレジリエンスの一つ一つが、血となり肉となって臨床に還元されています。形に現れにくい“人としての深み”は、親和性のある相手には必ず伝わるもの。

 自身のレジリエンス体験はかけがえのない財産となり、それはやがてポジティブなベクトルを持って周囲に伝播する…。筆者はそう考えています。

 まあ、失敗は少ないに越したことはないんですけどね(苦笑)…。