当記事は新型コロナの影響により開催中止となった2020年4月(旧BFI研修会)の講演テキストの一部を大幅にリライトしたものです。

解剖ビデオを観る理由~ソフトとハードのバランス~

 グンター・フォン・ハーゲンス博士によるプラスティネーション(人体の輪切り標本)を見たのは、今から25年前(1995年)、上野の国立科学博物館で開かれた「人体の世界展」に足を運んだとき…。

 当時筆者が勤めていた病院のスタッフ(女性看護師)と二人で会場に入った際、目立つ場所に展示してあったクジラの巨大ペニスを凝視した彼女がひとこと「…でかい」と呟いたのですが、なぜかそこだけ記憶に残っていて、肝心の展示物のことはあまり覚えていなくて。

 デート場所に選んだこと自体がナンセンスだと言えばそれまでなんですが、もっと真剣に観ておくべきだったと後悔し、その数十年後ハーゲンス博士による解剖ビデオ(ホルマリン固定されていない新鮮な献体を公開スタジオで解剖していく映像)を入手して以来、これを眺める時間が日課となりました。

 その後、ビデオを観る頻度は徐々に減っていきましたが、入手した当初は飽きずに毎日のように眺めていました。


 上記画像(左)は、亡くなって間もない新鮮な献体の頭蓋骨を外して脳を取り出した瞬間であり、その隣(右)は別の献体のもので、こちらはホルマリン固定した脳をスライスした直後の画像です(ビデオ内ではお肉屋さんに置いてある機械で実際に脳をスライスしている)。

 かつて筆者が“皮膚トーヌス“(重力に抗うべく皮膚自体が持つ緊張)という概念を思いついた(ひらめいた)のは、下記画像(左)の解剖シーン(吊り下げられて直立している献体の皮膚を剥いでいる場面)を見ているときでした。

 さらにその隣のシーン(脊柱を切り開いて脊髄および坐骨神経全部を引っ張り出している)のハーゲンス博士の力の入れ具合や手さばきから、神経組織の物理的強度(とくに引張応力)をリアルに感じることが…(ガチで神経は強いことが分かる!)。

 筆者は祖父の代から続く“ほねつぎ三代目”としてこの世に生を受けました。柔整の学校時代は父の接骨院で、卒業後は整形で骨折の整復固定に関わる新しい手法を次々に開発しました(上肢二重分離型ギプス、フィンガートラクションによるギプス巻き等々)。

 上記画像の左は柔整学校の学生時代に自作した厚紙固定。中央は整形勤務時代に創作したプライトン固定。右はフィンガ―トラクションによる骨折整復&固定。

 ちなみに私の父は柔整でありながら救急病院の手術スタッフとして採用され、10年以上のキャリアを手術室で過ごしました。筆者が生まれ育った環境はまさしくその病院の中でした。これについてはこちらのプログ(病院で生まれ育った?)をご覧ください。

 今な亡き父の口癖は「開胸して直接心マするときは心臓を握るだけじゃダメなんだよ、握ったあと放すときの力加減が大事なんだ…」。こんな柔整は他にいないでしょうね。

 晩年の父は夕食時にほろ酔い気分になってくると、自身の執刀体験(さまざまな骨折の手術や内臓手術のリアルな話)を語ることが多く、「食事中に止めてよ」と嫌がる母親には気の毒な展開でしたが、息子にとっては解剖学的に深イイ時間でした。
 
 認知科学という言わば「情報処理システムのアプリ開発」に傾注している現在の自分と、かつて骨折の整復や固定に執念の炎を燃やしていた若かりし頃の自分。デジタルとアナログの違いというメタファーが適切かどうかは微妙なところですが、いずれにせよ偏ってはいけないという本能が…?

 “脳”と“時間”に関わる考察を深めていくと、どうしてもシュミレーション仮説に行きついてしまう…。筆者が時覚(ときかく)と名づけている“時間知覚”に関わる研究を眺めていると、脳そのものがタイムマシーン…?

 認知科学にどっぷりと浸かっていると、そんな思考に支配されていく自分が怖くなるときがあります。けれども解剖ビデオを観ることで、再びマテリアルとクオリアの世界に連れ戻してもらえる…。自身の思考バランスを修正すべく大切な時間なのかもしれません。

人生最大級のレジリエンスを振り返る

 “ちなみに”パート2。今から20年前の整形勤務時代。受傷直後のX線に描出されなかった大腿骨頸部骨折の患者さんとの遭遇事件…。

 当時物療室の責任者として毎日その患者の様子を見ていたのですが、初診時のX線結果(正面.側面.斜位.軸位の4方向で骨折線を認めなかった)を盲信して理学所見の変化を軽視していた私は、不安を口にする患者さんに「大丈夫ですよ~」と軽々しい対応を続けていました。

 ところが3週間が経過した頃、下肢長差に気づいた私は「これはおかしい!」とようやく事の重大さに気づき、院長に「経観の写真見たいのでレントゲンを…」と直言し、骨折が判明(荷重歩行を続けたことで徐々に顕在化したと解釈できる)。

 可及的早期に診断がついていれば、最小侵襲の介入(骨接合術)で済むはずだったものが、最終的に関節置換術に…。

 受傷初期にX線に映らない大腿骨頸部骨折はMRIに描出され得るという報告を当時の私は知らなかった…。

 医療センターに転医したその患者さんを見舞った際、「お前のせいで人工関節になった。これからの私は“障害者”扱いになるそうだ。お前のことは絶対に許さない。土下座して謝れ」と言われ、私は泣きながら病室の床に額を押しつけました。

 実は、それまで医療から離れたいと思ったことが何度もありまして…。実際一度目は完全にリタイヤして軽井沢に引きこもって小説家になる夢を追いかけました。いくつかの文学賞に応募したものの全て落選という結果に心が折れそうになりましたが、30分近く土下座を強いられていたあのときは完全に心が折れました

 その後しばらく立ち直れなかったのですが、紆余曲折を経て私のレジリエンスは幸いにも発動してくれました。思いを共有できる仲間の存在が大きかったですし、発達個性である妻の超天然系の天真爛漫さも救いになりました。

 とは言え、あの体験はいろいろな意味でその後の人生に影響を与え続けてる…。患者さんに対して「大丈夫です…」というセリフは二度と吐かないと誓ったけれども、あるとき患者さんへの思いが高じて利他のパワーが勝ったとき、いとも簡単にその封印は解かれてしまいました。

 実際「大丈夫です」によって救われる患者さんのほうがはるかに多い…

 土下座するリスクよりも患者の力になれる可能性を優先することは、冷たい床の感触が額に蘇るフラッシュバックと常に隣り合わせ…。けれども保身のために全力を尽くさない自分がいるとしたら…、そんな己のほうがよほど怖い。

 なので今日も身を削る思いで「見てください!自律神経のトータルパワーこんなに上がりましたよ!これだけの数値が出ていれば大丈夫です!」と、必死の笑顔(協調性の乱れた表情筋)を出力しています。

 そんな日々の営為が報われたときは、脳がへドニアよりもユーダイモニア優位となり、己の選択の正しさを実感します。

ヘドニアとユーダイモニア

 最新の心理学では人間の幸せには2種類あると定義されています。はじめにへドニアについて…、これは一言で言えば「快楽の幸せ」。五感を通して味わえる喜び体験で、たとえば美酒、美食、喫煙、温泉、映画や音楽など。

 ヘドニアに対する筆者独自の視点として、その長所(効果)は「脳疲労の改善」であり、短所は「依存症リスク」です。

 筆者は子供のころから偏食傾向が強く、今なお自身のスイーツ依存と闘っています。精製糖、乳製品、小麦を一定期間摂取しないときに感じる脳の爽快感を何度も体験しているにも拘らず、誘惑(味覚の快楽)に勝てない自分が…。

 他方ユーダイモニアとは「自分の強みを活かしつつ何かに打ち込める幸せ」。日本語に訳すと「生きがい」に近い概念。自身の人間的成長ならびに他者や社会への貢献に対して感じる幸福です。

 ユーダイモニアの長所は「自己肯定感UP」であり、短所は「脳疲労マスキングのリスク」。生来より自己肯定感が低い筆者としては、ユーダイモニア優位になる状況はたいへん喜ばしい…。

 柔整は折れた骨を治すのが本来の仕事なんですが、今の自分は「折れた心を治す」ことを生業にしています。パソコン修理の世界に譬えると、ハード屋からソフト屋への転身とでも言いましょうか…。

 スタート地点でのモチベーション&アクションは、痛みの謎を解くために必要なチャレンジ…。後にこれが「折れた心を治すプロセス」と一部重複していたがため、必然“脳”と対峙する結果に。

 しかし、ときに入れ込み過ぎて、度が過ぎる介入もしばしば…。かつての私はひとさまの心に不用意に立ち入り過ぎた結果、多くの患者さんを傷つけてきたと同時に、自身も深く…。肉を切らせて骨を断つような臨床をずっと続けてきました。

 挙句の果て、新築デザイナーズマンションの1Fテナントを借りた際、一千万超を投資した治療院の経営に失敗。待合室を健康関連の本で埋め尽くしたライブラリーカフェにして、施術と情報発信と癒し空間の融合を試みたのですが、見事にこけました。

 3.11がトリガーとなり閉院したのですが、借金返済に追い詰められ、自死による完済を何度も考えました。しかしその都度、目に見えない何かに助けられて…。

 そうした体験の積み重ねはやがて「自分は何かに守られている」というある種の自己効力感に昇華し、そして泉のごとく沸き続ける感謝の念。これこそが私にとってのレジリエンスの源泉。

 自身が奇跡的に守られたと思えるエピソードは、数え上げたら切りがないほどたくさんあります。失敗の数だけレジリエンスも積み上げてきた。やらかした数の多さ(少ない方がいいに越したことはないのですが)は相当なものだという自負があります。

 そして今、自分が体験してきたレジリエンスの一つ一つが、血となり肉となって臨床に還元されています。形に現れにくい“人としての深み”は、親和性のある相手には必ず伝わるもの。

 レジリエンス体験はかけがえのない財産となり、それはやがてポジティブなベクトルを持って周囲に伝播する…。筆者はそう考えています。

 まあ、失敗は少ないに越したことはないんですけどね(苦笑)…。







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